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震災から1年

◆遅まきながら
東日本大震災から1年が経ちました。

あのものすごい揺れの感覚は、たぶん一生消えないでしょう。
あの狭い作業部屋の中で、ホントに「こりゃマジでヤバいかも」と、生まれて初めて「死」を意識した瞬間でした。
そして原発事故…。

先日、ウチにも東電からコレが来ました。

ウチの家族ひとりあたり8万払ってくれるそうです。
まあくれるというものはもらいますけど、これで終わったような顔されてもねぇ…

 

◆ぼくの会社は
震災後、約半年にわたって休業を余儀なくされました。
で、去年の9月の下旬に営業を再開しました。

ぼくの職業柄、いろんな人と話をします。
そして、この原発事故関連で、マスコミでは報道されなかった事実を知る事も結構ありました。

先日買い物に来てくれたお客さんは浜通りの方で、現在は市内の仮設住宅に住んでいます。
避難区域に住んでいて、2年前に家を建てたそうです。

原発事故で非難する事になり、奥さんと2人の子供と県外に避難したそうです。

そこで待っていたのは、子供たちの酷いいじめでした。
毎日泥だらけになって泣きながら帰ってくる子供を見ていられなくて、福島に戻ってきたそうです。

今日もネットでは高速のSAのゴミ箱に、福島県で買ったりもらったりした食べ物が大量に捨てられているというニュースが話題になってます。

あれから1年経った今、現状はこんなです。

地震や津波は天災だから誰も怨めませんけど、この原発事故は人災です。
ぼくは思うんですけど、やっぱり行政の責任が大きいんじゃないでしょうかね。

もともと、原発が安全でクリーンなエネルギーだという事のみを教育してきて、いざ事故が起これば真実を隠ぺい。

安全を確認できない農作物を安全だと言い切って他県に売って、そこで基準値を超えるセシウムが検出されたり。

これじゃあ他県の人に信用しろと言うのがムリです。

「復興」や「絆」を口にしながら、自分は県外に住居を移し、税金を使って遠距離通勤をする知事や市長。

嗚呼…ほんっとにイライラしますよね。

休業中、ぼくは県外の友人知人、取引先の方々には本当に励まされ、助けられました。
そしてこの先の事もいろいろ考えさせられました。

本拠地を仙台に移そうかとも、真剣に悩みました。

でも、家族や友人もいますし、なにより生まれ育った福島が好きです。
捨てるなんてできません。

ここで生きてくしかないんです。
なのでここで頑張らないといけないんです。

そんな人、いっぱいいると思うんです。
無能な役人に頼らず、ぼくたちが小さくてもいいから何かできることをやっていったら何か変わらないかな…
最近そんなことばっかり考えます。
いっそ市長にでも立候補しようかなとか…(笑)

まあそんな冗談は置いといて、もっと福島でお金使って経済を活性化させようぜ~!
ぼくにできるのはこのくらいかなwww

とにかく、いろいろ腹の立つこと悲しい事ありますけど、ぼくは負けずに頑張ります!

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